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八幡の賃貸
市川市八幡 賃貸一覧
- 地域
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指定なし
- 千葉県市川市八幡エリア情報
- 本八幡駅
八幡駅(もとやわたえき)は、千葉県市川市八幡二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。市川市の中心街にある。
乗り入れ路線
JR東日本の総武本線(緩行線を走る中央・総武線各駅停車のみが停車)と東京都交通局の都営地下鉄新宿線が乗り入れ、接続駅となっている。
都営新宿線は当駅が終着駅であり、「S 21」の駅番号が付与されている。東京都交通局の運営する鉄道路線では唯一東京都域外に存在する駅である。
JRの駅と都営地下鉄の駅とは、駅ビル(Shapo本八幡)の中にある連絡通路で結ばれている。さらに都営地下鉄の駅は、京成電鉄の京成八幡駅とも地下連絡通路で結ばれている。
利用状況
JR東日本 - 2015年度の1日平均乗車人員は58,835人である[利用客数 1]。
JR東日本全体では79位。最新データでは西隣の快速停車駅の市川駅よりおよそ1,000人少ないが、年度によっては市川駅の人数を超えることもある。
東京都交通局 - 2015年度の1日平均乗降人員は72,050人(乗車人員 36,225人、降車人員 35,825人)である。
都営新宿線全21駅の中では森下駅に次ぐ第7位。
パティオ (市川市)
パティオ(PATIO)は、千葉県市川市八幡二丁目にある本八幡ビル株式会社が管理する商業複合施設。地上8階、地下1階にテナントが入居している。正式名称は本八幡駅前共同ビル。
地理
市川市北部に位置する。地域の北端にJR総武線、地域の西部を都営地下鉄新宿線 が通り、本八幡駅前は商業地となっている他は、住宅地となっている。地域内には、かつて長崎屋本社があった。 一丁目に千葉県水道局市川水道事務所、三丁目に西友本八幡店、四丁目に京葉銀行本八幡支店、千葉銀行本八幡南支店、東京東信用金庫本八幡支店、長崎屋旧本社・MEGAドン・キホーテ本八幡店、四丁目に市川市保健センター、四丁目に近接してJR総武線本八幡駅、五丁目に千葉県市川健康福祉センター(市川保健所)、ハローワーク市川、市川南八幡郵便局がある。
東は鬼高、西は平田、南は大和田、東大和田、北は八幡と接している。
歴史
沿革
1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡八幡町となる。
1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡八幡町となる。
1873年(明治6年) - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡八幡町となる。
1889年(明治22年) - 東葛飾郡菅野村、宮久保村と合併し、東葛飾郡八幡町大字八幡となる。
1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町、中山町、国分村と合併、市制施行。市川市大字八幡となる。
1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市八幡町となる。
1967年(昭和42年)2月1日 - 住居表示施行。市川市南八幡一丁目 - 五丁目となる。
地名の由来
八幡町を総武線以北と以南で分割した際に「南八幡」とした。また「八幡」は、八幡四丁目にある「葛飾八幡宮」から。
八幡 (市川市)
八幡(やわた)は、千葉県市川市にある町丁。現行行政地名は八幡一丁目から六丁目。
地理
市川市北部に位置する。JR総武線・都営地下鉄新宿線本八幡駅と京成本線京成八幡駅を中心に商業地となっているほか、市川市の行政上の中心地となっている。地域内には市川市役所、市川市消防局本部・東消防署、市川市民会館、中央公民館、不二女子高等学校が置かれる。また、「入ったら出られない藪や迷路」の慣用句で知られる「八幡の藪知らず」が当地にあるほか、葛飾八幡宮が立地する。
地域の南部にJR総武線、国道14号(千葉街道)、京成本線、都営新宿線が通る。江戸時代には佐倉街道(成田街道)の八幡宿が存在していた。また、小説家永井荷風や、シナリオ作家水木洋子が晩年まで居住した地であり、永井荷風の作品「断腸亭日乗」「葛飾土産」や、伊藤左千夫の「八幡の森」などに当地が描かれている。
永井荷風は、当地の京成八幡駅近くの自宅で終焉を迎えている。同駅付近には彼がよく食事をした料理店の大黒家、「荷風の散歩道」と名付けられた通りなどが残っている。大黒屋は荷風が死の前日にも食事をした店である。「荷風の散歩道」(八幡小学校前通り)は、当地と隣接した菅野に住んでいた幸田露伴の娘、幸田文などが買い物をしたり、駅への行き帰りに利用した道でもある。また、葛飾八幡宮近くには、昭和20年代に活躍した人気歌手岡晴夫が住んでいた。同八幡宮には顕彰碑が建てられている。
東は鬼越・北方・本北方、西は菅野・平田、南は南八幡、北は東菅野と接している。
京成八幡駅の駅ビルには2007年まで京成百貨店が存在していた(1階部分のみリブレ京成として2010年まで営業)が取り壊され、現在は周辺再開発により京成電鉄本社ビルとなった。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、八幡4-12-9の地点で31万円/m2となっている。
沿革
1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡八幡町となる。
1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡八幡町となる。
1873年(明治6年) - 県の統合により千葉県葛飾郡八幡町となる。
1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により下総国葛飾郡の千葉県部分が東葛飾郡と改称され、東葛飾郡八幡町となる。
1889年(明治22年) - 東葛飾郡菅野村、宮久保村と合併し、東葛飾郡八幡町大字八幡となる。
1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町、中山町、国分村と合併、市制施行。市川市大字八幡となる。
1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市八幡町となる。
1967年(昭和42年)2月1日 - 住居表示施行。市川市八幡一丁目 - 六丁目となる。
地名の由来
当地にある「葛飾八幡宮」から。